2023-03-14

TODO: 割と眠いときに書いたのでまとまっていない。気が向いたら書き直す。

日常のおしゃべりではなくて、仕事や練習、議論の場でどれくらい「優しく」するべきかは悩ましい。真剣に、最短でコミュニケーションするといわゆる優しさが欠けがちなのだが、いわゆる優しさを優先してコミュニケーションしていると本来の目的が疎かになる。

例えばコードレビューでイカれた名前をつけ、グローバル変数を好き放題使っているコードを出されたときにはそれらを指摘して改善に導くのが本来の目的だ。コードのまずい点を明確に指摘して、それが及ぼす悪影響なんかも添えると親切だろう。さらに改善案を示して、その変更を採用した場合の影響を示すのも有効だと思う。ただ、こういうことを最小限のコミュニケーションで提示すると、レビュイーは自分がバカであると感じたり、最初からレビュワーがやればいいではないかと感じることが多そうだ。それを避けて、正面から改善のために向き合えるように「優しさ」を発揮して、生じるのが今回議論したい優しさ優先のコミュニケーションだ。

ぼくは優しさ優先のコミュニケーションはいらなければそれに越したことはないけど、一般的には必要なものだと思っている。不要な情報は発せられないことは当然望ましいけど、モチベーションみたいなものは大切で大事に扱わないといけないだろうから。

優しさのない、そっけない態度で議論とかを振られると、そのときむっとすることはあるが、あとから信頼みたいなものを感じて嬉しくなるのはぼくだけだろうか。ある程度信頼している相手にそういうそっけないやり方で議論を振ったときに、向こうに分かってもらえず少し嫌われたことがあってちょっとしたトラウマになっている。

これを読むと、僕は冗談とかが嫌いな人間に思えるかもしれないが、そんなことはない。議論に冗談が挟まるのは割と好き。でもその余裕がないときとか白熱したときとかにダイレクトに主張を交換できる関係は幸せだという認識がまずある。その上で、まだそこまで至っていない関係では、コミュニケーションを工夫して補うのがいいんじゃないか、という考え方をしている。

これを書こうと思ったのは、優しさを脇においたコミュニケーションに反感を買う様子を目の当たりにしたからだ。そこで気づきを得て、内容をぼかして抽象的なことを書いてみた。だれも悪くないし、みんないい人なのであの環境のもやもやを解決できるといいなと思っている。