2023-04-27
人と語るわけでもなければ、熱狂的に推すわけでもないのに、僕はなにのためにアニメを見たり、小説を読んだり、音楽を聞いたりするのだろうか。アニメはほぼ毎日みるし、小説は人並み以上に読むと思う。漫画もそれなりに読むし、音楽もなんやかんや毎日聞いている。これまでそういう作品の良さをまともに語ったことはないし、積極的に人と共有したりもしない。物語のキャラクターを推したいと思ったこともない。アーティストを好きになることはあっても、エッセイを読みたいとはあまり思わなくて、あくまでその人の作品が好きだからアーティストを好きになっているように思う。
アニメや漫画は単に面白いからだろうか。少なくとも日常的に触れる作品はそういう毛色が強い気がする。たとえば、鬼滅の刃やかぐや様のアニメはおもしろいから見ている。その一方で、ゾクゾクする経験があって、それが好きだという側面もある。たとえば91daysは面白かったがそれ以上にゾクゾクしたから記憶に残っている気がする。 Fate heaven’s feelやヴァイオレット・エヴェーガーデンも僕にとってゾクゾク系。
音楽はゾクゾクするのを求める気持ちがより強い。Co shu nie には特にゾクゾクを求めている。その他アニソンやボカロ、ピアノ、その他jpopも、そのときの気分にあったゾクゾクを求めて聞いている気がする。横道だけど、900STを買ってから飛躍的に音楽を聞くのが楽しくなった。幸いなことにヘッドホンはまだこれしか買っていない。初手でいいものを買う戦略が功を奏した。昨日くらいから電車通勤で音楽を聞くことに良さを見出してしまい、ワイヤレスでノイキャンのついたいいヘッドホンが欲しくなってしまった。
話を戻そう。ふんわり楽しい時間を求めるのと、ゾクゾクするのを求めるのの、2つの欲求があってそれらを満たすためにアニメとか音楽とかを浴びているようだ。それらの限らず、僕の幸せはそのどちらかにあるような気がする。ゾクゾクするほうが刺激的で楽しいので、今後はそっち方面の体験を増やすために意思決定を進めようと思う。
散歩をしてきて、本当に音楽とかに限らない話だと思った。プログラミング言語や数学のことを考えたり、プログラミングをしたり、オリエンテーリングをするときに、僕が一番好きな瞬間でモチベーションになっている体験はやはりゾクゾクしたときのことだと思う。今挙げた分野でのゾクゾクは、ハイになって、理解のぎりぎりのところで間に合ってというか、手が届いて自分のものにできた感覚だ。それに対して音楽とかアニメとかでのゾクゾクは、与えられた気持ち良さですごく心地良い体験だったり、強く共感したり、よくそこまでいった!すごい!みたいな感動から来る気がする。どちらのゾクゾクも僕を幸せにしてくれるけど、なんとなくプログラミング言語と戯れているときみたいなゾクゾクのほうが欲しい気がする。