良書を読む文化がもっと流行ってほしい

この記事は、技術者の成長において「良書を読み込む文化」の重要性を論じた文章です。

新しいメンタルモデルを手にいれるための手法として、良書を読み込むことが有効だと考えます。

Known unknown(知らないことを知っている、例えばOSにはプロセスとスレッドというのがあるらしいが、何が違うかわからない)な対象を理解するためには、質問に回答してくれるチュータやNotebookLMのようなツールを用いれば良いでしょう(プロセスとスレッドの違いを質問すればいい)。一方で、考え方を新しく身につけるためにはその手法は効きません。なぜなら古いメンタルモデルしか持たない人間が新しいメンタルモデルを獲得するための質問をすることが困難だからです。

メンタルモデルを新しく説明して頭に叩き込むことは大変です。説明する側はよく整理しないといけない(聞き手が察することには期待できないので)し、聞き手は誤解をしないように注意深く説明を腹落ちさせる必要があります。

例えば技術研修は新しいメンタルモデルを研修生に叩き込む手段の一つです。やはり大変な営みなので技術研修をする講師には高いレベルのエンジニアの工数を注ぎ込む必要があるし、研修を受ける人々には研修期間中はそれに集中することが許されています。

技術研修は効果的ですがスケールしません。一方で良書を読み込むことはスケールします。さらに良書は研修よりも洗練されています。なので僕は良書を読み込むことが有効だと考えるのです。

まず、技術研修がスケールしないことを主張します。講師をアサインする必要があることがネックです。アサインするためには社内に適任者がいるとか、社外から適任者を頑張って呼び出すとかする必要があります。そもそもアサインできないことが多いでしょうし、できたとしても労力と金銭的なコストがかかります。

良書は安いです。大体の技術書は一万円も出せば購入できます。給料をもらって働いている人間なら程度の差こそあれ世界最高レベルの技術書を年に一回買うことは容易いのではないでしょうか。また良書は簡単に入手できます。Amazonで1分で注文できます。どんなに時間がかかっても、一週間もあれば本が手元に手に入るのではないでしょうか。そして大体の研修に比較して、よりレベルの高い専門家がより労力をかけて作成しています。技術的にも説明としてもレベルが高いはずです。

研修をするのはそれはそれで良いとして、研修は受けるのに良書を読み込むことはしない人がいるのはなぜでしょう。要因として以下があるのではないでしょうか

知らない、見つけられないのはある程度しょうがないでしょう。人に教えてもらうのが有効と思います。幸いなことに社内では本を紹介し合う文化が多少あります。そこで一定解決できるでしょう。インターネットには良書を紹介してくれる人がちらほらいます。アンテナを貼っておくと良いでしょう。

本を読み込むことを選択肢に持っていないのは経験の問題でしょう。読み込んだことのある人と一緒に読み込む練習をすれば良いと思います。大学の研究室でやられている輪講会はこの目的を持つと考えます。

また、良書は往々にして英語で書かれています。気合いで読めば読めるので、これも経験の問題でしょう。

輪講会に参加するモチベーションを高めて開催すれば参加してくれるでしょう。参加してくれれば良書を読み込む経験による慣れと、一冊の良書を読み込んだことによる新しいメンタルモデルを身につけることができます。

社内で二つの輪講会を開催しています。両方を狙って開催しているのが A philosophy of software designの輪講で、慣れを狙ったのが型システムの輪講です。

僕が思う良書です。どれも文句なしにおすすめです。どういう領域のメンタルモデルを手に入れられるかはそれぞれの本の冒頭に書いてあるはずです。

パッとはそんなに出てこなかったです。