"alchole"

2024-07-06

先週くらいに調査をした上で今日材料と道具を買ってきて、加工のための準備をしている。誤差は出るものとして、それを許容できる加工方法を考えるのが楽しいしめんどい。

今日で材料調達までやった。近所にコーナンがあるのでそこで木材を買って、カットサービスで板を切り出してもらいつつ工具の貸し出しとバンを借りての運搬をした。コーナンの皆さんはプロフェッショナルな感じがして最高だった。どこからどこまでが責任範囲かを明確に意識してらしているし、彼らの範囲内であれば柔軟に対応してくれる。僕の範囲の話をふるとそれはあなたの決めの問題だと言ってくれて最高。それでいてドライな感じではなくてHRTな感じがしてすごい。今まですごいスーパーと見ていたのはもったいなかったなと思っている。コーナンの彼らは専門性と職責を理解して遂行するプロフェッショナルだと感じた。サービスカウンターの方と木材カットの対応をしてくれた方とお話ししたがみなさん本当にすごかった。

一度設計をしたのだがでかい板からの切り出しの寸法を計算したタイミングで捨ててしまったので設計を書き直す羽目になってしまった。とはいえそこはサクッと復旧できて、今はちまちま補助線を木材に引いている。飽きて試しにした穴を開けたりしているのだが、意外と良い工作精度が出ているので心配しすぎだったかもしれない。

ツイッタを徘徊していると一緒に仕事している強い人の悩みをうかがい知れて楽しい(ぼくが楽しむことを分かった上で知らせてくれているのだろう)。分かっていることではあるが、向こうも不安を抱えながら決断して僕たちに指針を示して進んでいるのだよなと確認をした。どこかで飲みに行きたい気持ちになった。大体納得の上で一緒に動いているが数くないぼくがいだているちょっとした不満(納得はしている)を共有したりしたいなと思っている。

プラットフォーマの良心

プラットフォーマとして、つまり場を提供してその場を幸せな環境として維持するものとしてリーダーシップを発揮することは綺麗なことだと思う。

gmailやyahoo mailがメール送信者のガイドラインを発表して、それを元に受信者・送信者双方にとっての利益を追求したことは記憶に新しい(少なくとも僕にとっては)。風当たりのあることだし、プラットフォーマにとって利益のあるものではない(よね多分)が、それを主導したメールのプラットフォーマたちは綺麗なことをやったと思う。

僕はビジネスとか損得勘定のことはわからないのだけど、あれは間違いなく正しいことだと思う。例えば、あの声明を立案して推進して実行したのが僕だとして(そんなことはまず無理だけど、その責任を僕が負ったとして)、仮にそれが原因で責任を追及され非難を浴びたら、その非難を挙げた人々を憐れむ自信がある。憧れてしまう。ああいうことができる力やセンス・良心をもったプラットフォーマになりたいと思う。自分の良心に従って人の幸せを実現した彼らを尊敬するし、そうなりたいと思う。

ぼくの母校である大和小学校の校歌は「強く、正しく、美しく」を掲げていた。今回掲げた、憧れるプラットフォーマは強さと正しさを持っていた。では美しさはどこにあるだろうか。

RFC8058には美しさを感じた。実際的かつシンプルで、僕の尊敬するエンジニアが美しいと言ってくれそうな哲学を持っているように感じた。ああいう美しさをお前も表現しろよな!というのを校歌は僕に要求しているのだろうか。

あと僕がGAFAに目指すなら絶対Googleに行きます。Googleは美しさと正しさを持っていると思う。ブランディングが大きいのだろうけど。

話が二転三転したけど、正しさや美しさを体現できるだけの強さを手に入れたいと思っています。また、その強さを手に入れる過程で追い求めていた正しさと美しさを忘れずに、むしろよりしっかりしたものにしたいと思う。