2024-10-17
イマジナリーの3巻を読んでいる。良い。あんじゅうも続きが欲しい。
プログラミングについて語りたいので一家言持とうと思いました。
陣屋を語彙として獲得した。Wikipediaを読んで最初に浮かんだのは高山の陣屋だった。古い街並みにある奉行所か何かだったと記憶している。と思って調べたら聴きなれない言葉で表現されていた https://www.hidatakayama.or.jp/spot/detail_1106.html 。
ツイートするには長すぎる
イマジナリーの3巻を読んでいる。良い。あんじゅうも続きが欲しい。
プログラミングについて語りたいので一家言持とうと思いました。
陣屋を語彙として獲得した。Wikipediaを読んで最初に浮かんだのは高山の陣屋だった。古い街並みにある奉行所か何かだったと記憶している。と思って調べたら聴きなれない言葉で表現されていた https://www.hidatakayama.or.jp/spot/detail_1106.html 。
LLMはコンパイラとかみたいに説明とか分析を出力してくれるものではあるけど、 LLMはコンパイラよりも人間に近いものだと思っている。コンパイラみたいな決定的な出力をするツールに対して良い入力を与えてその出力をそのまま共有することには価値がたくさんあるけれど、 LLMから得られた出力をそのまま「LLMに聞いたらこう返してくれました!」っていうのは(少なくとも現代使えるLLMのレベルでは)意味が薄いと感じる。
人間に対して質問して、その回答をそのまま人に共有することにも、場合によって価値がたくさんあったり薄かったり感じることがそれぞれある。質問を回答してくれる人間に対して信頼というか専門家としての信頼というかがあったら、そのまま回答を知りたいと思うが、その辺のただの人とか単に知識がたくさんあるだけな人だと、 (アンケート回答のデータとかなら別だけど)意見や情報としては価値を見出しにくい。そんな感じに、ぼくはLLMを専門家だとはまだ思えていない。単に知識がたくさんあってそれっぽい文章を生成するだけの(論理的思考の欠けた)出力をするやつだと思う。
とはいえ知識や経験がたくさんあれば結構な量の論理的思考は不要だろうことは段々わかってきた。なんのために考え事が必要なんだろうね。そして論理的思考とは何なのだろう。
今週は疲れた。先週の金曜から毎日飲み会だとか人と会ったりだとかのイベントがあった。それぞれは楽しいのだけど全てに参加していると大変。昨日はずっと寝ていたし、今日は家事をしていた。本を読む気力もない。体としては寝ても良さそうなのだが頭は何かをしたがっているので文章を書いている。本を読みたい気持ちもあるが、落ち着いて考え事をしたい気持ちもある。今その本を本当に読みたいのだったか、とか。
わかったつもり 読解力がつかない本当の原因 (光文社新書) に本屋で出会って読んでいるのだが良い。わかるとか理解する、みたいなことは一体何なのかは高校生の頃からのぼくのテーマの一つなのだが、それを一段深めてくれている。
ぼくの中での「理解する」とは、説明をつけることとか腹落ちしていることであった。論理とかは客観的なアレとして社会的に認められていたり、自然科学は実際問題役に立っているので市民権を得ているが、そんなことは「理解している」とは関係ないと思っている。理解しているか否かは主観的な問題で、腹に落ちた感じがするなら自分はそれを理解していると思うし、自分が同意できる説明を他者がするなら他者はそれを理解しているように感じる。そういうものだと思っていたし、今も思っている。
この本の説明ではぼくの解釈と矛盾しない中で理解の程度を論じているように思う。文脈とそれに対する解釈を持っている人間は、文脈を新たに獲得し明らかにすることで対象の解釈をより鮮明にする、みたいな主張だと今のぼくは大体思っているはず。鮮明にするというか、よりわかるというか。
これまでのぼくの理解への価値観には抽象度の違いがなかった。抽象解釈をするときにどれだけfineに解釈するかの違いが認識する文脈の違いに依存することをこの本に解らさられた。
この前ご近所さんとお話した影響で今日は八百屋に行ってきた。はじめて行くタイプの八百屋で、なんとカゴとレジは存在しなくて、床に陳列されている野菜を見ながら店員さんに口頭で欲しい野菜をクエリするタイプの買い方だった。ちなみに野菜の品質はそんなに良くなかったので次は他のところかなと思っている。安くはあった。
結局人は自分と近しい考えを読んでそれを楽しいと思うのだな、みたいなことを恩師が言っていたのを思い出した。ぼくもそう思う。そういう答え合わせみたいな読書は楽しい。
読書に限らずおしゃべりとかでもなんやかんや同調とか、似たような哲学のもとでの「議論」みたいなことをするときが楽しそう。「あいつはやばいから!」と嬉しそうに友達を紹介する人は、大体その友達と大差ないとかだとか。議論をするときに背景に共通点を見出して群れるのもそういうことだと思う。良し悪しは知らない。
named-letです。
先週くらいに調査をした上で今日材料と道具を買ってきて、加工のための準備をしている。誤差は出るものとして、それを許容できる加工方法を考えるのが楽しいしめんどい。
今日で材料調達までやった。近所にコーナンがあるのでそこで木材を買って、カットサービスで板を切り出してもらいつつ工具の貸し出しとバンを借りての運搬をした。コーナンの皆さんはプロフェッショナルな感じがして最高だった。どこからどこまでが責任範囲かを明確に意識してらしているし、彼らの範囲内であれば柔軟に対応してくれる。僕の範囲の話をふるとそれはあなたの決めの問題だと言ってくれて最高。それでいてドライな感じではなくてHRTな感じがしてすごい。今まですごいスーパーと見ていたのはもったいなかったなと思っている。コーナンの彼らは専門性と職責を理解して遂行するプロフェッショナルだと感じた。サービスカウンターの方と木材カットの対応をしてくれた方とお話ししたがみなさん本当にすごかった。
一度設計をしたのだがでかい板からの切り出しの寸法を計算したタイミングで捨ててしまったので設計を書き直す羽目になってしまった。とはいえそこはサクッと復旧できて、今はちまちま補助線を木材に引いている。飽きて試しにした穴を開けたりしているのだが、意外と良い工作精度が出ているので心配しすぎだったかもしれない。
ツイッタを徘徊していると一緒に仕事している強い人の悩みをうかがい知れて楽しい(ぼくが楽しむことを分かった上で知らせてくれているのだろう)。分かっていることではあるが、向こうも不安を抱えながら決断して僕たちに指針を示して進んでいるのだよなと確認をした。どこかで飲みに行きたい気持ちになった。大体納得の上で一緒に動いているが数くないぼくがいだているちょっとした不満(納得はしている)を共有したりしたいなと思っている。
本棚を自作する。清く正しい本棚の作り方が参考になりそうなので通読する。
通読した。以下の手順かな。今度ホームセンター行こう。
今日は会社の飲み会で夏祭りしてきた。その前にインターンの人たちとご一緒させてもらって楽しかった。僕も頑張らねば、という感じ。
夏祭りでお酒を入れると終わりが寂しくないことに気がついた。悲しいライフハックを覚えてしまった。浴衣を頂いて、おそらく人生で初めてきた。結構テンション上がって楽しめたのでこれからも積極的に着ようと思う。おかげさまで就職してから新しい経験をたくさんできてる気がする。
昨日から違国物語を読んでいる。結構面白い。今リンクを貼るために検索したら映画化すると知った。だから推薦されたのかな。
ここ最近は24時間楽しい。
too long to tweetというタイトルのブログを昨日か今日に読んだのを思い出して、今いいなと感じたのでブログのタイトルを変えてみた。今度こそしっくりくるといいな。
ガスバーナを買ったのだけど、お酒が進んでよくない。明太子を炙るとうまいしレンチンしたものを炙ってもうまい。お酒が進む。今度実家に持って帰ろう。
ここまでjamesonを飲んできたが、今からラフロイグかフロムザバレルに移る。どうなってしまうのか!
選ばれたのはフロムザバレルでした。やっぱりスモーキーさがあるのは良い。
なんかTwitterでやってろって感じがする。明太子って可算名詞なんだろうか。this is a mentaikoといって、英語のせんせいは満点をくれるだろうか。
5年くらい前にバイトでまふまふさんのライブの設営に行ったことを思い出している。まふまふさんは中学のとき(もう10年以上前!)から好き。友達にCDを貸してもらって、目覚ましや定期試験のお供だった。それから大学受験や諸々のタイミングでお世話になった。まふまふさんの歌がなかったら人生が違っていたかもしれない。そう思うと友達やまふまふさんに感謝してもしきれない? もっといい人生があったのかもしれないけど。今の人生は割と頑張ってきたなりの結果で頑張りのためにはまふまふさんの歌が必要だったことは間違いない。頑張りの良し悪しはわからないけど、頑張れたこと自体は良かったと思っているので感謝していることは見当違いではないはず。歌ってみたとかボカロ、高音ボーカルにハマったのはまふまふさんが始まりな気がする。話を戻してなんでまふまふさんのライブのバイトを思い出したかというと、co shu nieのライブに申し込んだから。人生始めてのライブ。前から気になってはいたけど、ついに人生初のライブに申し込んでしまった。ライブの設営は何回かやったのに、観客として参加するのは初めて。来月末が楽しみ。
今気がついたのだけど、音楽ってでかい音で鳴らすと楽しいな? んにゃって言える仲は割と仲良いと思う。
末尾位置での関数呼び出しは、継続渡し形式ではcaleeに渡す継続をcallerが大きくしないで、 callerのcallerから渡されたものをそのまま渡す点で特徴的だ。レジスタマシンではcallerのスタック領域をcalleeが上書きして使うことに対応するのだろう。こういうcall命令はどのくらい実用されているのだろうか。
https://www.sigbus.info/compilerbook これを読んでいる。
高校の化学の授業でナトリウムをどうやって保存するべきかと先生が問いを投げて、追い討ちをかけるようにそのまま先生が水筒ですか、と言ったのをたまに思い出す。確か灯油とかに放り込んでおくのが定石だった気がする。
今日は水筒を買った。会社で水をもっと飲みやすくなる。水筒にはお茶もコーヒーも入れないつもり。レジで「ご自宅用ですか?」と聞かれたのが印象的。プレゼントか否かを暗に問われたのだと思ってそうですと言ったのだが正しく意図を汲み取れていたのだろうか。家で水筒使うことなかなかなさそうなので明には嘘をついてしまった。
意図が自明ではない発言にはその背景を添えて欲しいし、自分も添えるように気をつけよう。
報酬主義を超えてを読み始めた。思ったよりも面白い。ある程度、当たり前の主張をさも常識を疑って得られた結論みたいな書き方をするけど、それでも僕の立脚する価値観を疑うようなことも書いてありそうなので期待している。
話題だったので読んでみている。手塚治虫っぽい印象を受けてる。
ある程度目を通したけど、村上春樹の小説のような例え話が実用書で延々と続いて途中で読むのをやめてしまった。たまに話題にでてきていた模倣理論とかは気になるので、そっちを調べてみようかしら。
共感できるところが多かったし、なるほどなと思うところもあった。なにより読んでて楽しかったので読んでよかった。
野崎まどの本を読むのは、野崎まど劇場を友達に借りたのが最初だった気がする。かれこれ10年くらい前の話かも知れない。
天気予報を確認したいのだけど、テレビを見たり朝スマホを確認する習慣がないし作る気もないので、なにか方法が必要。ちょうどラズパイが手に入ったので、毎朝どこかから引っ張ってきた天気予報を喋ってもらおうかと考えている。
読み上げは、voicevoxがいろいろいい感じなので試してみるつもり。ドキュメントがあまり充実してなさそうなのがたまにきず。やってみた系のブログ記事が有ったのでメモ https://ponkichi.blog/raspberry-voicevox/ 。
天気予報はどこから取ってくるのがいいんだろう。とりあえず、傘が必要かどうかを知りたい。
CAMPHER-が主催した植山類さんの講演でyoutube配信があったので視聴した (youtube)。リンカの話はよく知らなかったので楽しかった。「『CSの大体の問題は間接参照で解決する』という言葉がある」という発言がなかなか面白かった。使いたくなるときに我慢して使わずに乗り越えられたら幸せになったりするだろうか。
初めて家の近所にあるコンパスコーヒーに行った。
日替わりの浅煎りをダブルで頂いた。今日はコロンビアらしい。あまり酸っぱくなくて後味がうまい。コーヒー豆も買ってしまうかもしれない。後味がうまいコーヒー好きで、苦くても酸っぱくても多少ならどちらもおいしいと思う。
この頃「詳解システム・パフォーマンス」を読んでいる。チューニングをする機会はないのでツールの説明は読み飛ばしているが、それに入る前の基礎的な概念を勉強している。学部の授業でやった理論的な基礎から復習して、もう少し具体的な実装とか最近のアーキテクチャのこととかまで勉強できている気がする。
今からファイルシステムの章を読み始める。
東大の田浦先生が公開されている大規模ソフトウェアを探るがとてもよかった。 GDBを使って大きなソフトウェアの振る舞いを理解する方法を学べる。 2年ほど前に、こういう資料が喉から手が出るほどほしいと感じていた記憶がある。
今日はこのあと研究のことを少し考え、後輩とお酒を飲む。どちらも楽しみだ。
午前中には入社や書類を仕事をした。 Macのターミナルが重い。今まで使っていた研究室のでも重かったし、新しく使い始めたものでも重い。原因を調査中。アプリを起動するのも重いし、コマンド実行が終了してプロンプトが返るまでのレイテンシもある。
昨日まで4日連続で人とご飯を食べた。いろんな人と話せて楽しかった。今日は研究室に行くし、昨日はオンラインでのコミュニケーションで別のコミュニティの人と話したので、社会性週間だ。てんやわんやしている。(追記)研究室ではお土産を持ってきてくれた人がいて、お茶した。だいぶ話し込んでしまった。
ご飯がおいしかったのは、昨日のカレー屋さんで、カレーコース?を食べさせてもらった。行く前のイメージはカレーを何種類も食べるカレーバイキングみたいなものを想像して楽しみかつ戦々恐々という感じだったのだが、蓋を開けるとカレーは一つだけでそこにたどり着くまでに野菜や肉を出してくれた。その後にアイスとチャイを出していただいた。ビールやラッシーが飲み放題で、ラッシーを浴びるように飲んだ。あんなにラッシーをたくさん飲んだのは初めて。こういう料理は食べて美味しいけど家で作る感じではないな。お店の味と言う感じがした。
昨日はご飯がおいしいのも嬉しいポイントだが、初めての人たち(それも楽しいひと)と話せたのが嬉しかった。社会は大変だということを教えていただいた。宿題でバーキン(バーガーキングではない、パーマンの音程)をググったのでメモしておく。値段の桁に驚いてしまった。「一生ものとして日常使いにこそ活躍できるバッグです」と紹介されている。煽りとか皮肉とかではまったくなく、どういう日常をおくるのか気になる。ちなみに、バーガーキングは Burger King でバーキンは Birkin なので、英語表記では少しずれる。惜しい。
昨日以外は学科同期や部活同期とご飯を食べたのだった。餃子のタレをジントニックに入れるとおいしくない。日本酒にわさびをいれるのは美味しいらしい。
Linuxシステムプログラミング(アフェリエイトリンク)を読み始めた。 Linuxでのファイルとプロセスについて説明されている。これまでIO周りのバッファとかよくわかっていなかったけど、ここまでの読書でスッキリした。こういうことはただの知識な感じがして、学校で教えられても忘れそうではあるのだけど、必要になったときに勉強する戦略が通じるとは思えない。必要なときに必要だと気がつくのは難しそう。こういうのを教養というのだろうか。だとしたら学校で教わって覚えておくべきなのかも知れない。
OSとプログラミング言語の間のところを勉強している感じがして楽しい。このあたりが分かれば、手を出せる幅がだいぶ広がるんじゃないかと思っている。システムプログラミングをゴリゴリやるのも楽しいかも知れない。ゴリゴリやらないにしても、ソフトウェアを作るときの一つの課題の解決策としてシステムプログラミングを常に選択できるようにしたい気持ちがある。
仕事に絡めたいかは別にして、パソコンの操作性を上げたい。キーボードの設定・設計やIME、アプリケーションの(ショートカット)キー設定とかで、飛躍的にパソコン操作が快適になるはずだ。難関はブラウザやSlackなどのGUIアプリだろう。
Fluent Pythonと言う本が面白そう。最近英語で第二版がでたようだ。
タイトルを見たときには、アーキテクチャ的な話が中心なのかと思っていたけど、蓋を開けると、それを構成するための技術を基礎から説明してくれた。たとえばデータベースの種類(関係、ドキュメント、グラフ)とその実例や特性、インデックスのデータ構造の説明、比較など。データベースだけの本でもないけど、そのへんはまだ読んでいないので触れない。
そういう話が終わると、分散システムを考えだす。こういう話の持っていきかたは読者として嬉しいし、文書を書くときに見習いたい。
D2はテキストから図を生成するツールで、マーメイドとかが競合になるようなイメージだろう。企業がオープンソースで開発している。設計思想が良さげ。まだやりたいことをあまりやりきれていないようなので、開発を追いかけたいし、実際に使ってみたい。修論で使えるかな。