2025-01-13
昨日は友達とキリンビール工場に行ってきた。500円のツアーがあってビール作りの概要を教えてもらいつつビールを飲ませてもらえる。だいぶ楽しかった。あの体験は優しさで成立していると思う。
原料となる麦やホップを食べさせてもらえたほか、ビール製造の中間生成物である麦汁の飲み比べをさせてもらえた。何より説明してくれるお姉さんがビール好きで、1つ質問すると厳選した3つを返してくれるのが良かった。一緒に飲んで欲しい。飲ませてもらったビールもめちゃくちゃおいしいし。併設されているレストランに行けていない(リサーチ不足でご飯を食べてから行ってしまった)のと、他にも見学コースがあるみたいなのでまた行きたい。
ホップを使ったリンスを買って使ってみたら、髪からフルーティ系なビールの匂いがして最高。
AIに仕事を奪われることはないだろう。とはいえ単に作業をするだけの労働はAIに奪われる。コードを単に書くのは作業であって、仕様からコードを生み出すだけならAIでやった方が早いし(今の相場なら)安いから。
とはいえそんな単純作業が仕事であることはなくて、将来のこととか仕様の考慮に入っていなかったことをコードを書きながら調整して主体として責任を持って成果を出すことは、社会がまだAIに対して認めていないように感じる。
誰もが優秀な部下を持つようになったが、人々は誰かに責任を持った主張をして欲しくいのだろう。ポジションをとって主張をし、ダメだったときは失落したり挽回することを人格に求めている。信頼をして仕事を任せる相手は人間じゃないと嫌だと社会が思っている。
そういうわけで人間は労働力としての生成AIを手に入れただけであって、人間社会で主体として認められたあらたな人格を手に入れたわけではない(今のところは)。成果を出すためには社会が理解できるポジションを取ることが必要で、そのロールモデルの振る舞いとして社会と交流しないといけない。どんな振る舞いをするのが良いか決めるために生成AIを駆使する仕事の仕方が増えるだろう。ロールモデルには矛盾なくとりうるアトミックな行動があって(思想とか哲学みたいなもの)、それを組み合わせることでその人らしい振る舞いが形成される。思想とか哲学とかに一貫性がないと社会から信頼してもらえない。一方で外部から同じ要求がなん度もくることはないため、それに応じた異なる振る舞いをする必要はある。思想や哲学から外部刺激に対して振る舞うことにはエネルギーとか思考とかが必要で面倒だから生成AIを使うと便利だろう。
これはプログラミングにも応用できる。アプリケーションのコアなロジックのインターフェースは綺麗に設計されてクライアントから受け入れてもらう必要がある。そこがブレると利用するのがそもそも大変だし、見出した価値がすぐに失われてしまうだろう。一方で、それを活用して振る舞いを追加したり修正することは生成AIがこなすだけで十分なのではないだろうか。振る舞いを追加することは、そのアプリケーションのコアな部分のインターフェースと世の中によく知られた技術要素のインターフェースを組み合わせて表現できるだろう。
外部からの要求に応答して振る舞いをしたりインターフェースを利用して新たな機能を提供する際に、コアな思想を見直してアップデートすることもあるだろう。とっているポジションをちょっと変えるということ。使う側からすると理解の仕方をちょっと変えないといけないのでこの変更が気に食わなかったり理解できなかったりすると嫌な感じがする。変化の速度が早すぎて理解が追いつかないとたとえ良い変化であったとしてもアンチになってしまい信頼をなくすことに繋がる。そのため人間に直接理解されるインターフェースは人間に合わせた進化をしないと社会に適合できなず、市民権を失う。
したがって生成AIはインターフェースを提供するソフトウェアエンジニアの職業を奪うことはない。一方でインターフェース設計に関与しない、定義されたインターフェースの中だけで作業をして、他人と相互作用をするインターフェースを定義しないエンジニアリングは生成AIのコストに負けて自動化されるだろう。
次に、他人と相互作用するインターフェースのあり方が変化するかが問題になる。これまで公開されて使われていたようなインターフェースは今後も必要だろうか。インターフェースを解釈するのが生成AIだけになれば、その変化が早くても理解が追いつくためわざわざポジションをとったり人間の理解速度に変化の速度に合わせる必要がなくなる。これは作り上げるものの抽象度の違いに依存するだろう。何かを作り上げたかったらその一段下の抽象度の言葉で構成を説明してほしい。妥当性を検証するために。そこから下は信じることにして(信じられる何らかの根拠を持つことになる、ここも何か困難があるかも、今は著名なOSSだからokとか言って信用することにしている)、欲しいものの一段下のレイヤで自分で納得がいけば良いものであると判断する。
そして、人間の思考とか議論のレイヤは高々10とかにおさまっており、それが生成AIの登場で変わるとも思わない。なのでインターフェースを人間が作ってポジションをとる必要性も今後変わらないと思う。根拠はなくて直感だし、多分僕の願望も入っっている。
良いインターフェースを定めるために、鍛錬を積む必要はあり、それは生成AIによって取って代わられる仕事でなされることが多い。生成AIを使って仕事をやる先端のインターフェース提供者と、そこから学べない後進が場所によっては生成AIがやる仕事をするローカライズされたインターフェースの提供者が並行して存在する世界になるだろう(生成AIに限らずこの状況はあるだろうが)。