2025-05-25
LangChainを眺めている。そういう本を買って読んでいる。ちゃんと理解するためには手を動かすのが良いのだろうけど、ざっくりどんなものがあるのかを知ることが目的なので本を読んでいる。これまでふわっと聞いていた用語の意味が繋がって楽しい。あと、Pythonのこの頃の事情に触れることもできた。Pythonでそんなに便利でもないのにDDLみたいな記法を導入する文化はあまり好きじゃない。高級で直感的な言語をせっかく持っているのだからそれを使わせて欲しいと思う。f-stringとかは有益だと思うけど、ただの関数呼び出しの記法を誤魔化すみたいなのは避けたい。
AIをガッツリ用いたソフトウェアは書いたことがなくて、普段は人が作ったソフトをただ使っている。自分が普段使うツールは自分である程度自在に手に合うようにしたい。例えばシェルとかエディタの設定をいじるとか便利処理を実装するとか。生成AIを用いたツールについては、生成とか検索とかはコアな機能でツールに提供して欲しいけど、それらを組み合わせるのは自分でメンテナンスしたいと思う。
そのユースケースとして色々触るのはありだと思うのだけれども。
例えばソフトウェア開発をするAIエージェントが欲しいのだけど、エージェントの単位でサービスを買ってしまうと開発環境とかに手を入れられなくて辛い。それに設定を組織で共有することになって試行錯誤の影響範囲がデカくなってめんどい。
AIエージェントみたいなやつはインタラクティブになっている必要はないと思っていて、あれのために専用のビジュアルインターフェースがあるのはむずい。ぼくが普段ビジュアルなインターフェースをいじることがないので。
そうではなくてプラグインを受け入れるとかそういうのでいいので関数とかとして呼び出せるようなものあって欲しい。そのためにはぼくがそういうふうに扱えば良いだろう。
おおよそ、自由自在に生きれることを目標に生きると僕は幸せだろう、というような信念をもとに10年くらい過ごしている。進路の選択とか会社選びとか暇な時間の過ごし方とかはこの価値観に影響を受けている。
仕事ではソフトウェアを自由自在に作れるようになることを目指している。ソフトウェアって何かと便利だし社会的にもそこそこ求められているものだと思うから、自在に作れるようになったらいいじゃん、という気持ち。
学生の頃は自由自在というのは、まず物事をよく理解できるとかその理解を表現できることだと思っていた(今も思っている)。なので理学をやろうと思った。元々化学が気になっていたのだけど、理解の仕方が僕の思った幸せな解釈の戦略と違った(実際的すぎるように思えた)ので化学はやめることにして、論理学とか数学とかを学べそうな情報系に舵を切った。理解するとは、とか表現するとはみたいなことを真面目に考えたくなったのだった。
何やかんやあってプログラミング言語を学生生活の後半では勉強することにしてそれなりに楽しかったし、目論見通り(?)ものの見方は変わったように思う。型、継続、プログラムの表現、抽象化レイヤの分離、変換とかは僕が何かを認識したり考えたりするときのそれなりの基礎になっているように思う。ただ、僕が好きなのはそういう認識の仕方を勉強するところであって、ソフトウェアエンジニアリングをうまくやれるようにするためのモチベーションはあまりなかったし、そもそも課題とか嬉しさを理解していなかった。それは寂しいなと思ったのと、なんとなく楽しそうだったのと、お金が稼げそうだったのでソフトウェアエンジニアとして仕事をすることにした。
なんとなく楽しそうとサラッと流してしまったが、当時でももう少し具体的に考えていたはず。街とか社会とかをソフトウェアは構成していて、今後もっと入ってくるだろうと思っていた。家のリモコンがプログラマブルなのは便利だ。そういう便利な生活を実現することは良いことだし、それはDIYに閉じる範囲ではなくて社会として便利にすることは良いことに思えた。僕の価値観とも繋がる。なのでソフトウェアエンジニアリングをしようと思った。
話を現在に戻す。仕事を始めて3年目になりプログラミングというかソフトウェアプロダクトの開発にある程度慣れてきた。技術的に指導をされることは減り、人に知見を渡す機会が増えた。とはいえまだまだわからないことだらけで到底自由自在に開発しているとは思えない。一つのプロダクトの開発をいつまで経っても自明なプログラミングにできていないのは怠慢だと思う。アーキテクチャというかモジュール分割を判断し切る必要があるだろう。その手の知識についてアドバイスを僕にする人はいない。見える課題が周囲と比べて変わったのか単に環境が変化しているだけなのか(多分両方だろう)は判断していないけど、チームとかその周囲でこの課題に取り組む人は見当たらないのでトップランナーだと思って頑張るのが良いのだろう。
この手の課題は書籍で議論されている内容ではあると思っている。そのくらいの内容は学校で議論を終わらせて、専門家の集団としてのプロフェッショナルは最先端で議論するものだと子供の頃は思っていた。そういう環境を追い求めることはぼくの人生の幸せのために必要だと思う。身を置く環境をなんらかの方法で変える必要がある。もちろん、ぼくの幸せは仕事というか専門性だけではないので配分を忘れてはならない。
学生時代の勉強によって、プログラムによる表現は割とコンフォートゾーンになった。ついでに論理とか文章とか説明も勉強した、これはまだまだ難しいけど。これまでの仕事とかその周囲の趣味の時間でプログラミングとか設計をコンフォートゾーンよりにしてきた。これからは何を学んでいきたいだろうか。
- ソフトウェア以外のことも大事であることを思い出そう
- 衣食住と健康は自由自在の礎だと思う
- 趣味への取り組み方をシフトしてみる
- 仕事では何を自由にする?
- プログラミングをしない手もある
- 観察、課題の分析、解決は好きよりだと思う
記事をGitで管理している。更新履歴を表示すると面白いのではないだろうか。
2025-05-25 19:00 20:45
| |
---------------------------> t
/ /
新規作成 推敲
上記のような感じでファイルの編集に関わったコミット履歴を記事ごとに表示するイメージ。時間軸をクリックするとその時点でのファイルの内容を見れる。完成された記事を見るというよりは、日記を書いているぼくを観察するために日記を見る、という考え方。推敲とか追記の過程を観察することを可能にする。